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東大合格を誰一人予想できなかった小中学生時代

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東大合格を誰一人予想できなかった小中学生時代

ここでは管理人の小中学校の頃の成績について述べたいと思います。

「東大卒なのだから、どうせ小中学校の頃の成績はオール5で、ぶっちぎりの学年トップだったんでしょう」 という声が聞こえてきそうですが、実はそうではありませんでした。 小学校時代の僕の成績は平々凡々、低空飛行も低空飛行でした。

小学生時代の僕がその約10年後、東大生になることなど、一体誰が予想できたでしょうか。きっと誰一人予想できなかったと思います。

小学生の頃の成績なんて、全くアテになりません。

小学生の頃の成績に一喜一憂するなんて、全く馬鹿げていることがこれを読めば分かると思いますし、 小学生の頃の成績が振るわなかったという理由で「自分には才能がない」と悲観して東大を諦めるなど、愚の骨頂です。

管理人のプロフィールのページでも前述したように、 少なくとも僕の小学生時代は、成績は中の上程度でした。

5段階評価で、音楽は評価「5」以外なかったのに対して、主要4科目で評価「5」は全く取れない状況でした。

「それは先生の見る目がなかったからでは?」という声も聞こえてきそうですが、 それもないと思います。 というのも、小学生時代はクラス担任の先生が1年毎に変わり、6年間で担任の先生は6人だったからです。 6人の先生が皆、僕の主要4科目の成績に「5」を付けなかったわけですから、 これは確率論から言っても偶然である可能性よりも必然である可能性の方がはるかに高いと考えられます。 つまり僕の成績が芳しくない原因は先生の間違いではなく、僕が紛れもなく凡庸であったことが原因と考えられるということです。

主要4科目の成績は基本は「4」だったのですが、苦手の国語と社会は「3」であることも多く、 平均すると3.6〜3.7程度だったと思います(実際に計算したわけではなく、この数字には何の根拠もありません)。

自分で言うのもおかしな話ですが、僕は授業の内容は非常によく理解していましたし、 単元ごとのテストでも毎回90点以上、満点も多く取っていました。 しかしこれは非常に易しいテストなので、他の多くの生徒も同じように満点を取ります。

つまり筆記テスト以外で差をつけなければ、評価5が取れないわけです。 そのポイントになるのが、授業中に積極的に手を挙げて発言したかどうかです。これが僕にとって非常に苦手でした。 答えが分かっていても、手を挙げる勇気が出ないのです。

「○○君は大人しいからね。答えが分かっていても積極的に手を挙げて発言しなければポイントにならないよ」 と何度言われたことか。「そんなこと分かってるよ。分かってるけどそういう性格なんだから仕方ないだろ」と心の中で叫んでいました。

そのようなわけで僕は小学生時代、主要4科目に関しては評価「5」とは縁遠かったわけです。

これは隣のクラスの話ですが、国語の時間に「おくびにも出さない」という表現が出てきて、 「おくび」って何のことだと思う?という先生の問いかけに対して、手を挙げた生徒が1人いて、 この人は「あくび」のことだと思います、と答えたという笑い話を又聞きで聞きました。

これはやや極端な例ですが、正解を知っていても挙手しないで黙っている生徒と、 手を挙げて間違ったことを発言する生徒とでは、小学生の頃は後者の方が積極性があってよいということで評価されやすいのです。 同じクラスにも積極的に手を挙げて発言するものの、その多くは的外れという生徒が少なからずいました。

僕が本気で手を挙げて発言したら、きっともっと良い成績が取れるんだろうけど、 これは自分の性格だから仕方ないという諦めの気持ちと、 自分はあの人たちよりも成績は下なのだろうな、授業の内容はよく分かっているのに悔しいなあ、という気持ちが交錯していました。 しかし僕は自分の存在意義は特技のピアノなのだから、それでよいのだという諦めの気持ちが強かったです。

このような状況ですから、僕は成績が今一つであることを悲観するよりも前に、自分では頭が良いと思ったことすら一度もありませんでした。

しかし小学校6年生の時は担任の先生と相性がよく、ピアノの伴奏などで活躍して一目置かれていたこともあり、 2学期に僕は得意の算数で思い切って発言してみようと勇気を振り絞りました。

小学校6年生になってから、隣町の塾に通い始めていて、学校の授業よりも先に進んでいたこともあり、 特に算数に関しては既に学校の授業は復習としての意味合いしかない、全て分かり切ったことばかりでした。

まさに算数はその時の僕にとって主要4科目の中で最大の得意科目でもありましたし、 挙手する勇気が出ないとは言っても、100%正解と自信がある問題であれば、さすがの僕も挙手する勇気を振り絞ることはできました。 そして周囲の皆が解けない問題でも積極的に手を挙げて次々に正解を発言していきました。

この時の算数の成績は「5」でした。評価5を取るのはこんなにも大変なものなのか、と感じましたが、 小学生時代、国語、算数、理科、社会の4科目で「5」を取ったのは後にも先にもこの1回だけだったことを考えると、 実に感慨深いものがあります。この1回だけでも「5」を取れたのは僕にとって大きな勲章になりました。

中学校入学に向けて、勉強に対する不安は大きくなっていました。主要科目に英語が加わり、算数は数学と名前が変わって、 内容も格段に難しくなるという話を聞き及んでいましたし、「落ちこぼれ」という言葉も当時流用していました。

中学校入学前から、「落ちこぼれにならないように頑張って授業についていかなければ」と 不安と緊張でがちがちになっていたことを昨日のことのように覚えています。

一方で、中学校では1学期に中間テスト、期末テストの2回の大きな試験があり、学年通しの順位が出るようになると聞いて、 やる気が出てきました。 また中学校の成績は中間・期末テストの成績と提出物で主に決まり、授業中の挙手・発言が成績に反映される割合が少なくなるとも聞いたため、 小学校の時よりは良い成績が取れるのではないかという希望を持ちました。

前述したように、僕は小学校6年生の時から隣町の塾に通っていて、国語、数学をメインで勉強していた他、簡単な英語の授業も 受けていたので、学校の授業よりも少し先に進んでいました。

中学校に入学してからも同じ塾に通い続け、そこで学校の授業を先取りして、ややレベルの高い授業を受けていました。 その一方で、学研の「マイコーチ」という教材にも取り組んでいました。この教材は非常によくできていて、 1科目あたり1日に20分程度で終了できるように章立てが工夫されていました。 その章の重要ポイントが分かりやすくまとめられていて、書き込み式で繰り返し記憶の定着を促す構成になっていて、 本当に優れた教材でした。小学生時代の低空飛行から脱出することができたのは、この教材のおかげだと言っても過言ではないほどです。

中学校に入学してから勉強のコツをつかみ始め、通知表にも主要5科目で評価「5」が当然のように並び始めました。 数学ではクラスで唯一の満点、クラスのトップになるなど徐々に開花し始め、成績も学年260人の中で一桁に入るようになりました。 中学校1年生の3学期中間テストでは学年3位となりました。低空飛行の小学生時代に比べたら夢のような大躍進です。

また茨城県の中学校では、新教研テストという茨城県統一の5科目の試験があり、県内順位も出るのですが、 中1の後半に行われたこのテストでは426点で学年6位となりました。

「でも東大に入るような人間にとっては随分お粗末な成績じゃない?」と首を傾げる方もいらっしゃるかもしれませんが、 当時の僕は東大など自分とは縁のない場所だと思っていましたし、これでも低空飛行の小学生時代に比べたら、 かなりの大躍進で、我ながらあっぱれという感覚でした。

中学校2年生の1学期中間テストでは484点で学年第1位にも輝きましたし、 中学校3年生の1学期期末テストでも480点で学年第1位となりました。

茨城県統一の新教研テストは県内の成績優秀者が県内上位200名ほど名前が載るので、 それを目標に頑張っていましたが、僕はイージーミスが結構多い上に国語が苦手ということもあって、 名前が載るには至らない状況でした。 校内では毎回3〜4位には入っていて、その意味では善戦してはいたのですが・・・

同じ中学校の同学年に毎回1位を連発している超付きの優等生の女子生徒がいて、いつかこの人を抜いてやると躍起になったこともありますが、 この人は非常に安定して毎回480点以上を連発して、毎回のように県の上位に名前が載っていて、 とても僕がかなうような相手ではありませんでした。

ちなみにこの優等生の女子生徒はどこの大学に行ったか、全く話が聞こえてこないですが、少なくとも東大には行っていないようです。

最終的には学年で3〜5位というのが僕の定位置で、隣接学区も含めて最も偏差値の高い県立高校に合格するのが最終目標となりました。

当時通っていた隣町の塾でも、その高校への合格者数を1人でも増やすことを至上命題に掲げて、 塾内の精鋭数人を選抜して、中学校3年生の1年間、特別授業するということになりました。 僕は塾内第2位でその特訓教室に入ることとなりました。

ここの塾にもツワモノがいて、塾内第1位はこの人の特等席でした。 茨城県統一の新教研テストでも、中学校の同学年の例の女子生徒同様、480点以上を連発し、毎回名前を載せている人でした。

このようにどのような集団に入っても上には上がいるものなんですね。僕はどこに行っても1位とは縁が遠いようでした。

ちなみにこの人も東大には進学していないようです。 それだけ東大というのは狭き門なのでしょうね。

中3時代は塾では例のツワモノの彼に次いで僕が第2位で、徐々に失速して最後は5〜6位になってしまいましたが、 目標の県立高校の合格率は80%以上と出ていました。

中学校では学年3〜5位に入っていて、やはり目標の県立高校の合格圏内にはいました。

しかし最後の頃、高校受験のためということで大好きだったピアノを強制的に辞めさせられたことでひどく落ち込み、 プレッシャーや個人的な心境の変化で精神を病んでしまい、最後は例の県立高校の入試の10日前に体調を崩して熱発し、 その熱が全く下がらない中で受験当日を迎えることとなってしまいました。

感触は悪くなかったのですが、例の高校は不合格となりました。

中学校3年生の頃の生活はかなりハードで、塾でも例の県立高校の合格だけでなく、東京の難関私立高校の合格の実績も挙げたいようで、 それに照準を合わせた難易度の高い問題も授業で取り上げていました。

そのようなわけで僕も自然にそれに感化されて、しかもこれだけハードな生活を送った結果が例の県立高校合格だけでは物足りない と思うようになり(このように仕向けるのが塾側の本当の狙いだったのかと思ってしまうほどです)、 東京一の名門とされる開成高校と、早稲田大学高等学院を受験することとなりました。

実はこの頃の僕は早稲田大学を最終目標に掲げていたのですが、それには1つの大きな理由があります。

父親の兄弟の中に早稲田大学理工学部応用物理学科を卒業した秀才がいて、 この人は親戚が集まって酒に酔った席上で、周囲の人たちを「このボンクラが」とバカにしていました。

幼い頃からそういう場面をつぶさに見てきたためか、僕の中では早稲田大学が1つのステータスになっていました。 「早稲田大学に入ることはそんなにエラいことなのか」と思ったわけです。

そのようなわけで、その当時の僕の最終目標は早稲田大学でした。

ちなみに僕は真面目で控えめで気が弱い性格なので、仮にめでたく早稲田大学に入れたとしても、 「ボンクラ」という言葉はどう逆立ちしても言えなかったと思います。

僕は東大に合格した時点で親戚の中でもピカイチの秀才に上り詰めたわけで、周囲の全員に「ボンクラ」と言える 「権利」を手に入れたわけですが、もちろん僕は誰にも言ったことはありません。

開成高校と早稲田大学高等学院は、いずれも東京有数の難関高校で、合格できる自信は全くなかったのですが、 過去問で傾向をつかんで、対策を練って試験に臨みました。

しかし結果的にはいずれも不合格となりました。

最終的に合格したのは2校で、いずれも茨城県南の私立高校で学力特待での合格でした。

一方は3年間、生徒会費以外全額免除という特典付き、もう一方は当面1年間の生徒会費以外の全額免除です。

後者はさらに総合成績が学年45位以内に入っていれば、次年次の授業料その他費用が免除になるという制度でした。 学力毎にT〜V類に区分けされていて、僕は最も高いV類でした。ちなみにV塁の平均偏差値は70と言われていました。 この中で150人以上の中でその年度の総合成績で45位以内に入れれば、次年次の授業料その他費用が免除になるというわけです。 それでも僕は何故かそこに入れる自信満々だったので、この2つの高校の特典は僕にとって似たようなものでした。 従って、あとはそれ以外の要素が選択基準となりました。

前者の高校は前年度実績、東大ゼロ、早稲田大学ゼロ、慶応大学ゼロ、 後者の高校は初めての東大合格者が1人出た他、早稲田大学6人(慶応大学合格者数は失念)でした。 この高校に入れば、東大合格も夢ではないのか、ということもちらっと意識した記憶があります。

そのようなわけで僕は後者の高校を選びました。

この高校に入学すると、毎日放課後学校に軟禁されて勉強させられる、人間的な生活が奪われるという話は聞き及んでいましたが、 高々3年間ですし、僕には選択の余地は残されていませんでした。

そのようなわけで、僕は「飛んで火にいる夏の虫」のように、自らの意思でいばらの道を選択したわけです。

僕自身の人生を俯瞰すると、この選択が間違っていた可能性も高いですが、純粋に学歴の点に限って言えば、結果的にこの選択により、 東大に大きく近づいたことは間違いありませんでした。

中学生時代、常に僕の上にいた学年トップの学校や塾の上位1位のツワモノも、それ以外の人たちも誰一人手が届かなかった 東京大学というブランドに到達できたのは、僕の知る限り僕だけでした。

何故、僕だけがこの異次元の高みに到達できたのか、それはこのサイトを読めば分かるように書いていくつもりです。

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