30代からの医学部学士編入合格への道管理人プロフィール
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はじめに
管理人の場合
・プロフィール
・そうだ!医学部入ろう!と思い立った経緯 ・医学部学士編入試験合格体験記 ・入試本番実況中継:筑波大学 ・筑波大学医学類学士編入試験合格発表 ・筑波大学医学群の学士編入者の顔ぶれ ・合格に対する周囲の反応 ・管理人へにメッセージ・質問を送る 医学部学士編入試験の特徴
・医学部学士編入の難易度 ・学士編入試験を行っている大学一覧 ・試験の時期は大学によってまちまち ・入試科目が少ない ・受験者の年齢:中には40代・50代受験者も ・大学側が学士編入者に求める人物像について ・何校でも併願可能 学士編入試験合格作戦
・合格・成功するためにやっておきたいこと一覧
必須編(必ずやっておくべきこと) ・志望校を選ぶ際の考え方 ・志望校の過去問入手、情報収集 ・筆記試験対策 ・小論文対策 ・面接対策(集団面接、集団討論を含む) ・志望動機のブラッシュアップ ・出願書類の準備 ・移動手段(飛行機・新幹線・深夜バス) ・宿泊先の確認・予約 オプション編(やった方がよいこと) ・教授・指導教官に推薦書の執筆を依頼する ・医学部学士編入を共に目指す仲間を作る 検討・判断すべきこと ・今の仕事をやめるべきか否か? ・予備校に通うべきか否か? 学士編入試験の流れ
・学士編入試験の出願から受験・合格・入学まで
・学士編入試験出願チェックリスト 分野別対策法
・英語〜論文の大意を把握できるようにする
・数学〜高校数学から大学教養課程まで ・物理〜高校物理を復習する ・化学〜高校化学を復習する ・生物・生命科学〜論述のための正確な知識を ・小論文〜医療のトピックス/志望動機 ・個別面接・集団面接・集団討論 医学部に入ってから
・学士編入生の学生生活〜勉強・学生との交流
・医学部での勉強の内容 ・医学生向けのおすすめ参考書 ・CBT(Computer Based Test)・OSCEとは? ・臨床実習について ・医師国家試験(国試)おすすめ参考書 ・マッチング制度について 医師になってから
・医師のキャリア・学年について
・臨床研修指定病院について ・学士編入者の初期研修・その労働と賃金の実際 ・当直勤務の実際〜当直はつらいよ ・勤務医の現状・実際にあった忙しかった1日 ・年下の上級医との接し方について ・専門科目の選択肢とその時期 ・日本内科学会の内科認定医について ・臨床で役立つ医学書のコーナー ・医師の周辺の医療関係の職種について ・医師の収入〜病院勤務医と開業医 ・賃金と経営に対する意識はあったほうがよい ・医師として何を追求するか?キャリアプラン 医師の恋愛・結婚事情
・学士編入の医師はモテるのか?
・医師が結婚する方法を真剣に考える ・40代後半医師・婚活の現状2021 ・40代後半医師・迷走の婚活2021〜2022 ・フェリーチェで迷走の婚活2022 ・婚活事件簿〜フェリーチェ新担当者との面談 ・アヴェニュー東京・IBJでの活動開始 ・婚活事件簿〜担当者成りすまし
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管理人のプロフィール
1972年生まれ♂。茨城県南部出身
小中学校は地元の田舎の町立小学校・中学校でした。 小学生の頃は勉強が特にできる子供ではなく、引っ込み思案で授業中も発言が少なかったこともあって、 主要4科目(国語、算数、理科、社会)で評価「5」を取ったのは算数の1回だけでした。 主要4科目の平均は3.8程度だったと思います(この数字には根拠はないです。基本は「4」なのですが、「5」は全く取れず、 たまに「3」が混じることがあったので、平均すると「4」を少し下回るのは確実であるため、3.8程度ではないかと推測しただけです)。 その代わり、ピアノでは目立っていて、僕と言えば「ピアノが上手い○○君」で通っていましたし、 今現在、同級生の親に合うと、誰もが「ピアノの○○君」として覚えてくれているほどです。 中学校に入ると授業中の挙手・発言の頻度よりも定期テストの成績が重視されるようになり、 その必然的な結果として成績が急上昇しましたが、それでも学年260人中、3〜5位程度でした。 定期テストで学年1位になったことは2回ありますが、それでも僕自身の最終学歴を考えると、 やや物足りない出来ではあります。 最近、医師になって僕の学歴を知った人たちからは、「ずば抜けて優秀だったんですね。 小中学校ではぶっちぎりで学年トップだったでしょう?」と聞かれたことも数回以上ありましたが、 そのようなわけで、ぶっちぎりどころか、学年トップになるのも難しかったという事実を正直に話すしかありませんでした。 隣接学区内最高と言われる千葉県の某公立高校は合格はほぼ確実と言われていましたが、 諸事情があり精神的にも肉体的にも最後は調子を崩した結果、不合格となってしまい、茨城県南の某私立進学校に 入学料、1学年目の授業料その他諸費用免除という学力特待制度で進学しました。 学年1000人以上のうち、総合成績で上位45位以内に入っていれば次年度も授業料免除という制度で、 いずれも学年5位前後には確実に入っていたと推定され、結果的に3年間授業料免除となりました(親孝行と言ってもいいでしょうか)。 全校模試の最高は全校2位(理系1位)、クラスで1位を取ったことも数回あり、東大合格の可能性も高いと言われていましたが、 高3になってから、学校からのプレッシャーと精神的ストレスで調子を崩して成績が急降下し、東大理Tは前期・後期ともに不合格となり一浪となりました。 一浪の時は河合塾の東大入試オープン、代ゼミの東大模試でA判定を連発し、今度こそ受かるべくして東大理Tに合格、入学しました。 東大に入ってからも結構真面目に授業に出て好成績を収めて、進学振り分けで東大理系の難関、理学部物理学科に進学を果たしました。 物理は結構好きで勉強は面白かったのですが、物理学者として大成できる自信も揺らぎ始めてしまい、 また、このまま研究者として俗世間の楽しみを知らないまま一生を終えてしまうのは幸せな人生ではないな、と考え始めると、 勉強にも身が入らなくなり、ここにきて「燃え尽き症候群」の様相を呈してきました。 最終的に大学院は、東大工学部の応用物理に鞍替えし、2年間の修士課程を修了し、 そのまま大手電機メーカーに就職しました。半導体記憶回路の設計・開発業務に従事しましたが、 これは僕にとって合わない仕事でストレスもたまりました。 仕事というのは、「やりがい、楽しさ」、「人間関係」、「待遇(賃金、給与)」の3つのうち2つが満足できればよいと言われていますが、 この仕事はこの3つのいずれも最低と言ってよいものでした。 僕は「ピアニストになりたい」と思い続けてそれまでの人生を生きてきたわけですが、 この仕事はその夢を捨ててまで一生続けたいと思えるほどのものではなく、 当時、メールで知り合った女性と会社の愚痴とピアニストへの夢について、毎日メールで語り合うようになっていました。 僕は意を決して退職の意思を上司に伝えましたが、案の定引き止められました。 「まあそう言わずにもう少し時間をかけて考えてみようよ」と言われました。 僕は時間を考えて考え抜いた末に決断を下し意を決して退職の意思を伝えたのに、これ以上何に時間をかけろというのだろう、 と思いましたし、退職の意思は固いのでどうかお願いしますと言ったのですが、 その場では聞き入れてもらえませんでした。 その後も、事あるごとに上司に相談し時間を設けてもらったのですが、のらりくらりとかわされ、 結局、退職できたのは意思表示をしてから1年半後になってしまいました。 この時点で、医師になること、医学部に入ることは全く考えていませんでした。 冴えない頭で漫然とピアノに向かい悶々と孤独な日々を過ごしていました。 それまで全く苦にならなかった暗譜に苦労するようになっており、記憶力は急激に低下していました。 加齢に伴う記憶力低下と言っても、僕はこの時点で32歳とまだまだ若く、 この記憶力低下の理由は年齢だけでは説明できないものでした。この時もうつ状態になっていたのだと思います。 詳しくは「そうだ、医学部入ろうと思い立ったわけ」のページに書いた通りですが、 このような経緯を経て、学士編入試験で医学部に入って、医師を目指そうと思い立ったわけです。 しかし当時でも医学部の学士編入試験は競争率が10〜20倍もあって、 しかも前述したように急激に記憶力が低下していたこともあり、この競争に打ち勝つ自信はありませんでした。 しかしやると決めたら前に進むしかありません。できるかできないかはやってみなければ分からないということで、 僕は自分の可能性にかけることにしました。 自宅で勉強していても埒が明かず前に進めないだろうと思い、2005年12月に河合塾ライセンススクール(KALS)池袋校に行き、 即、入塾手続きをしました。貧乏サラリーマン時代の手取り給与数か月分の大金を引き出して・・・。 医学部の学士編入試験では、英語、生命科学、小論文の3つが軸になるということで、 この3つの講義を取り、毎週土日に通うことになりました。 英語、生命科学を猛勉強し、医学のトピックスについても知識を身に付け、小論文対策も行っていました。 数学、物理、化学は自分のレベルに合う授業がないので独学で独走態勢を築きました。 最終的に翌年2006年7月に第1志望の筑波大学医学類の学士編入試験に合格しました。 実はその2週間前に弘前大学の1次試験を受けに行き、こちらも通過しましたが、筑波大合格のため棄権しました。 このようにして僕は運よく一度も不合格を経験することなく医学部学士編入の受験生としての生活を終えることができました。
2014年4月〜後期研修
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