羽生王座王将(当時)vs中川大輔七段の大逆転・加藤一二三九段の名解説「あれれ、おかしいですよ」
NHK杯将棋トーナメント2回戦
棋譜 ▲2六歩 △8四歩 ▲2五歩 △8五歩 ▲7八金 △3二金 ▲2四歩 △同 歩 ▲同 飛 △2三歩 ▲2八飛 △3四歩 ▲3八銀 △8六歩 ▲同 歩 △同 飛 ▲8七歩 △8四飛 ▲7六歩 △6二銀 ▲4六歩 △6四歩 ▲4七銀 △5二金▲1六歩 △6三銀 ▲1五歩 △9四歩 ▲9六歩 △5四銀 ▲5六銀 △4二玉 ▲7七角 △7四歩 ▲8八銀 △7三桂 ▲6八玉 △7七角成 ▲同 銀 △2二銀 ▲4五銀 △同 銀 ▲同 歩 △3三銀 ▲6六銀 △3一玉 ▲1七桂 △4六角 ▲3八金 △6五歩 ▲5五角 △同 角 ▲同 銀 △7五歩 ▲2五桂 △2四銀 ▲4四歩 △同 歩 ▲6一角 △6二金 ▲3四角成 △4三銀 ▲5六馬 △5四歩 ▲4六銀 △8八歩 ▲同 金 △7六歩 ▲5八玉 △3四歩 ▲4七歩 △7四飛 ▲2九飛 △5二金 ▲7五歩 △同 飛 ▲6四銀 △7四飛 ▲7三銀不成 △同飛 ▲6五馬 △2二玉 ▲3六桂 △6三飛 ▲7四馬 △6二飛 ▲2四桂 △同 歩 ▲4一銀 △2五歩 ▲5二銀不成 △同銀 ▲7三金 △2六桂 ▲2三歩 △3三玉▲4八金 △9二飛 ▲8三金 △6二飛 ▲7三金 △9二飛 ▲8三金 △6二飛 ▲7三金 △9二飛 ▲同 馬 △同 香 ▲5一飛 △4一銀打 ▲6二金 △8四角 ▲5二金 △5一角 ▲同 金 △6六歩 ▲4一金 △8五角 ▲5一角 △4三玉 ▲8四角成 △6七歩成 ▲同 玉 △6四飛 ▲6五銀 △8四飛▲7四歩 △7五銀 ▲6六銀 △7七歩成 ▲同 玉 △6八角 ▲同 玉 △6六銀 ▲5九玉 △8一飛 ▲7七桂 △6八銀 ▲同 玉 △6七角成 ▲5九玉 △7七銀成 ▲同 金 △同 馬 ▲4九玉 △8七飛成 ▲9八角 △8八龍 ▲5四銀 △3三玉 ▲2六飛 △9九龍 ▲3八玉 △2六歩 ▲2二銀 △同 金 ▲4三銀成 △2三玉 ▲2四歩 △同 玉 ▲3六桂 △2三玉 ▲2四歩 まで163手で先手羽生善治王座・王将の勝ち
戦型:先手羽生2冠が初手2六歩と居飛車を宣言し、後手、中川7段が8四歩と相掛かりの注文を付け、羽生が2五歩と後手の注文に乗り、
相掛かりとなりました。 ここからは、解説と聴き手のやり取りの文字化バージョンです。
甲斐「先手、7七同じく金」 ここから加藤節が炸裂する。
加藤「羽生2冠はやっぱり本局、序盤作戦で矢倉にいかなかったのがやっぱりいけなかったですね」
しばしの沈黙ののち、羽生2冠が腕組みをして「んー。」と首をかしげる。このときの羽生さんが将棋の鬼に見えました。
ここからは僕自身の個人的な私見です。 この局面は次に8九龍以下の簡単な詰めろになっていますし、一見するとその詰めろに対する適当な受けがなさそうに見えます。 受けるとすれば、現在4九にいる玉を3九に早逃げしておいて(3八はあいにく後手の桂馬がきいていて ここに逃げることはできない)、8九龍の王手に4九銀の合い駒を用意する、あるいは2八玉と上がって耐えられるかどうか、 ということを普通は考えると思います。加藤一二三九段もそのように解説しました。 しかしそれでも一手一手で先手に全く望みがなさそうに見えます。 しかし中川七段の8七飛成に対して羽生二冠は秒読みギリギリまで考え、最後の10秒の秒読みの中、8.5秒で駒台の角をつかみ取り、 0.5秒の早業で、駒台のほぼ反対側の9八に置きました。 解説の加藤一二三九段は「おー、ほほー、9八角ね。で、これは当然8八龍と入るんですね」と解説しましたが、 聴き手の中倉宏美さんは「こわいですね」としきりに怖がっていました。 しかしこの9八角に対して同龍と指すようでは、そもそも8七飛車成と指した手が悪手ということになってしまいます。 将棋の論理(棋理)からしても、8七飛車成と指した以上、9八角に対しては8八龍または7八龍でなければならないことになります。 ともかく、羽生さんの指したこの9八角はかなりの勝負手、というより盤上この一手の最善手だったようです。 これで8九龍の王手が1手で来る可能性を消した上に、8八龍とかわせばその瞬間、6五の銀に9八に打った角のヒモがついて、 次に5四銀の王手が実現するという一石二鳥の手になっていました。 実は5四には相手の歩がいて、この歩を取りながらの王手になっている点も勝敗を分ける大きなポイントでした。 というのも結果的に後手玉の即詰みにおいて、先手羽生二冠の持ち駒の最後の一歩まで使い切っての詰め上がりだったからです。 もしこの5四に相手の歩が落ちていなければ、あの頓死はなかったことになります。 この将棋に関しては、もう何もかもが奇跡的というか、羽生二冠に対して見えない力が働いているとしか思えないほど神がかり的です。 そう考えると、この9八角の一手は、一石二鳥どころか、一石三鳥くらいの価値のある一手ということになりますね。 後手8八龍に対して当然の5四銀の王手に後手は3三玉とかわしました。 加藤九段は「羽生二冠の方は、ここで指す手がなくなった」と言っていました。 先手羽生二冠はここで頭を抱え、秒読みぎりぎりに近くなってから、 「しょうがない」といった表情、手つきで後手の目障りな2六の桂馬を飛車で食いちぎりました。 これを同歩と取ると、実は結果的には後手玉に即詰みがあったのですが、そのことを羽生二冠は直感で察知していたのでしょうか。 そのようには見えませんでしたが、羽生さんのことですから、うすうす感じていたのではないかと思います。 それにもかかわらず、そのような素振りは見せず、 羽生さんの表情や雰囲気からは、「この桂馬が目障りすぎるから、ここで飛車を切るしかないか、しょうがない」というようにしか見えないのは、 さすがという他ないです。これは見事に騙されてしまいます。 もちろんそんなことはこの時点では僕には分かりませんでしたし、 同歩と飛車を取られても、8八の龍で9九龍と香車を取りながら王手されても、どちらの手を指されても羽生さんの負けは 時間の問題と考えていました。 加藤九段は後者の9九龍を「相当からい指し方」と言いました。実際に中川七段が指したのも9九龍でした。 羽生二冠はこの王手に対して、3八玉と逃げました。これが飛車で相手の2六の桂馬を取った効果ですが、 直後に2六歩と飛車を取り返されて、これで先手玉はどう見ても受けがありません。必死です。 後日談ですが、羽生さんは「この局面は負けだと思って、ほぼ半分以上形作りのつもりで指していて、でも一応、最後、王手をかけてみようかな、と 2二銀から王手をかけていったら、実は後手玉が危ないということが分かって、加藤さんの「あれ、あれ」という言葉が、まさにあの時の自分の心境を代弁してくれているようだ」 と言っていました。 対談の聞き手から「それじゃ、羽生さんも心の中で、「ひゃー」って?」と聞かれましたが、「「ひゃーっ」とまでは思いませんでしたが、「あれ」とは思いました」と 答えていて、非常に面白いやり取りでした。 さて局面は戻り、後手中川七段が2六歩と飛車を取って先手玉に必死がかかった局面からです。 ここで羽生二冠の持ち駒は銀銀桂歩三ですが、加藤九段は羽生二冠の持ち駒に桂馬がもう1枚あれば面白かった、と過去形で言っていました。 相当強い人を除いて、この対局を観戦している人たちは皆、この時点で羽生さんの負けは確定したと思っていたと思います。 しかし、ここから後手玉は即詰みに打ち取られます。初手は2二銀から。これは同金と取るよりなさそうに見えましたし、 実際に中川七段も同金と応じました。この一手で3二にいた金が2二に移動し、4三への効きがなくなったため、 先手4三銀成が実現し、後手2三玉を強要します。ここから先は常識的な手順で後手玉は詰みます。 羽生二冠が2二銀と打った局面で、「かなり、迫っているようにも見えますが」との聴き手の中倉さんのコメントに対して、 解説の加藤さんは「迫ってますけどね、で、これ逃げ間違うといけないんですね」と解説していましたが、 実はこの手に対して同金でもそれ以外の手でもどう応じても後手玉は詰んでいたのだから、恐ろしいものです。 逃げ間違うとかそういう話ではなかったわけです。 加藤九段の解説通り、歩の数がぴったりで、持ち駒が1枚も余らない見事な詰み上がりとなります。 駒を動かしながらであればそう難しくはない詰みにも見えますが、この局面が先手必敗に見えてしまうのは、 僕が弱いからなのか、目の錯覚なのか、本当に不思議な現象です。 これは終盤の入り口で後手の中川七段が飛車で王手馬取りをかけて必勝形になった辺りからの流れ(いわゆる「線」)を見ていたので、 そう見えてしまうのかもしれないです。純粋に次の一手問題としてこの局面を「点」で出題されたら、 実は結構難しい局面に見えるかもしれないです。もっとも、この局面で後手8七飛成に対して先手9八角と打った局面も 先手羽生二冠が苦しいことには変わりがないわけで、その意味で先手番の「次の一手」問題としては成立しないわけですが、 あえて指すとすればこの9八角と2六飛車はいずれも最善手だったわけです。 「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」とはよく言ったものです。 しかしこれは立場を逆にすれば当然逆になります。 中川七段から見れば「必勝だと思っていたのに、これで負けてしまうとは・・・」 と不思議に思ったのではないでしょうか。 加藤九段も、「これは、中川七段も、あの、あの、あ、あれでしたね、あの、もう、これは、、、何とも言えない」 と言っていましたが、言わんとしていたことはそういうことだと思います。 これも一種の羽生マジックですかね。 悪い将棋でもこうやって終盤で相手を騙して数々の逆転劇を演じてきた羽生さんの面目躍如たる将棋だったと思います。 この将棋、どうやったら後手の中川七段の勝ちになるのだろう、と自分で駒を並べて研究したこともありますが、 実は結構難しいと思いました。最後、中川七段が9九龍と香車を取って、先手の羽生二冠が3八玉と上がったところで、 実戦では中川七段は2六飛車と取り返しました。 この局面で後手玉が即詰みに打ち取られたわけですから、後手が勝つためには2六の飛車はすぐには取れないことになります。 その直前、9九龍と香車を取ったことで、9八の角が浮いたため、2六の飛車を取る代わりにこちらを取るのが正解のようで、 対局中も中倉さんが「そうすると飛車を取るところを、角を取っておけばよかったですか」と聞いていました。 加藤一二三九段が「角を取っておけばいいんだね、そう、角取りなんだね」と言っていましたが、 角を取ると今度は2六の飛車が生きる展開となるため、まだまだ難しいようです。 中川七段が勝ちになる手順について、中川七段自身が後に将棋雑誌で解説を載せていたようで、 実はその手順を勝又清和六段が分かりやすく解説している動画がYou Tubeにアップされているので、ご覧になると良いと思います。 プロ的またはアマチュア高段から見ればそれほど難しい手順ではないようにも見えますが、 結構手数が長い上に一手でも間違えると勝てず、この長い手順を正確に指して初めて後手が勝ちになるという状況に 驚かれると思います。この将棋は棋理からすれば後手の勝ちですが、勝負としては既に先手が勝ちやすい局面になっていた ということです。本当に将棋というのは不思議で奥が深いゲームだとつくづく考えさせられてしまいます。 盤上この一手の最善手を指し続けることを目標にすると疲れてしまいそうです。 それよりも勝負は時の運と考えて、気楽に指した方が楽しめそうです。
それにしても、この将棋の面白さを色々な意味で引き立ててくれたのは、加藤一二三九段の名(迷?)解説だったと思います。 「あれ、あれれ」を連発し、「ひゃー」と奇声を挙げて驚きを表現する、その早口でユニークなしゃべり方だけでなく、 内容そのものも結構面白いです。 終盤で羽生二冠必敗に見える局面で(実際はかなり難しい局面のようですが、アマ高段の自分にもそう見えます)、 「そもそも羽生二冠は序盤作戦で矢倉に行かなかったのが、やっぱりいけなかったですね」と、 その対局を振り出しに戻してしまうところなんか、実は地味にかなり面白い発言だったりします。 僕が聴き手だったら、「加藤先生、もしそうお考えなのなら、この局面になってからではなく、もっと早く言ってほしかったですよ」と 言ってしまうかもしれないです。 結果的には加藤九段が「序盤で矢倉に行かなかったのがいけなかった」と言った局面は、 実は先手2二銀以下の詰みになっていて、先手羽生二冠の勝ちになっていたわけですが・・・ おそらくこの将棋を加藤九段以外の棋士が解説していたら、この対局が今でもここまで話題になることはなかったと思います。 もうこの将棋に関しては、主役は羽生さんでも中川さんでもなく完全に加藤さんです。 加藤九段は後手玉の即詰みを読み切ってから、「NHK杯戦史上に残る大逆転じゃないかな」と言っていました。 確かにNHK杯戦史上に残る対局ではあって、今でもYou Tubeに多数の動画がアップされていることが、 それを何より物語っています。この対局が歴史に残る名局となったのは、その対局内容もさることながら、 加藤九段の名解説・珍解説によるところが大きいと思います。 しかし「大逆転」ということについて言うと、解説者が後手玉の詰み筋、羽生の勝ち筋はまだしも、 この勝負にかなりアヤがあることにもう少し早く気づいていたら、逆転のインパクトはもっとずっと小さかったと思います。 その意味でも、この対局を「大逆転」に仕立て上げた 加藤九段の功績(?)はあまりにも大きいと思います(と言っても加藤九段はそれを意図したわけではありませんが)。 僕は実はこの加藤さんの「あれ、あれ」以降の言葉をほぼ完全にそらんじています。 こういうナンセンスな言葉の羅列を一語一句覚えるのは結構得意で、加藤さんの物まね(声帯模写)などもします。 加藤一二三九段は将棋指しとして桁違いの高みに達した人です。 「桁違いの高みに達したのは羽生さんでしょう、谷川さんでしょう、中原さんでしょう、昭和の大名人・大山師匠でしょう」 という声が聞こえてきそうですが、よく字を見て下さい。加藤一二三九段、加藤一二三九段・・・ 加藤1239段です。プロ棋士は九段、つまり一桁止まりですが、加藤さんは、一二三九段、まさに4桁。 桁違いの高みです。昔は十段というタイトル(現在の竜王)があり、加藤一二三十段だったこともあり、この時は5桁です。 まさに桁違い。・・・というのはナンセンスな独り言でした。 加藤一二三九段は本当に面白い人ですね。素で面白い、という・・・ 受け狙いではなく加藤一二三九段が大真面目で言ったことでも、ウケてしまうような発言が結構あります。 加藤一二三九段は色々な珍エピソードを残していますが、そのいくつかをここで紹介します。 昔、あるタイトル戦で渓流の音が聞こえる格式高い旅館での対局中、「すみませんが、あの滝を止めてもらえませんかね」と 言ったという有名なエピソードがあります。 「そんな無理なことを言うなんて非常識」と考える人が多いと思いますが、加藤さんには決して悪気はなく、 ただただ純粋に滝の音が気になって集中できないという それ以上でもそれ以下でもない発言に過ぎなかったのだと思います。 野良猫に餌付けして非難され近隣住民に提訴されてマスコミで「加藤一二三元名人」として報道されたときに 「だって猫がかわいそうじゃないですか」と言ったのも、彼の価値観からすれば当然の動物愛護精神に基づく行為だったのだと思います。 本人にしてみれば飢餓状態のかわいそうな野良猫に餌を与えることの何が悪いのか、理解していないのではないかと思える節があります (ちなみにこの民事訴訟は加藤さんが敗訴したそうです)。 四間飛車に急戦棒銀で挑むのも、勝率が悪くても頑なにその戦法にこだわるのも、加藤さんならでは、です。 そして「棒銀は優秀な戦法です。何故、みんなは棒銀を指さないんですか?」と皆に聞いて回り、 「勝ちにくいからです」という答えにも納得せず、同じことを繰り返し聞き続ける、 それも加藤さんらしいエピソードです。 「あと何分?」と聞いて数秒も経たないうちに「あと何分?」と繰り返し聞き続けるというのも、 加藤さんならではの有名なエピソードです。 残り時間にこだわる割には、秒読みになってからが滅法強く、早見え早指しの天才で、 NHK杯テレビ将棋トーナメントは7回優勝を飾っています。最近まで大山康晴十五世名人の優勝8回に次いで7回というのは史上第2位で、 加藤九段はそのことを事あるごとに自慢していました。「大山さんの時代はですね、あの、最初の頃は有力棋士だけでの対戦でしたから、 実際は私の時代になってからの7回の優勝の方がはるかに難しいことでして」と加藤九段がどこかで言っていた記憶があります。 しかし羽生さんが新時代になってから優勝10回となり、さすがに加藤さんも黙らざるを得なくなったのではないかと思います。 その一方で、持ち時間の長い将棋では突然、数時間の大長考に沈むこともありました。 「加藤さんが長考しているときは実は何も考えていない、でも秒読みになるとものすごく手が伸びてくる」と 言っていた棋士は中原誠十六世名人だったでしょうか。 故・米長邦雄永世棋聖は、1989年のNHK杯テレビ将棋トーナメントで羽生善治五段(当時)と加藤一二三九段の対局 (この将棋は天才羽生の「伝説の5二銀」の対局として有名)で、 加藤一二三九段が何でもないところで長考して普通の手を指したところで、笑っていました。 「だいたい考えるとね、違うこと考えるわけでしょ?ですからー、考えたら考えた手を指そうというのが普通なんですよ。 ところが加藤さんは長考して普通の手を指して、それで平然としている、それがどうしても分からない。」と言っていました。 加藤九段によれば「気合を入れるため」ということのようですが、僕も単純に時間がもったいないな、と思うのですが・・・ 秒読みになってからが強い加藤一二三九段にとっては、そんなことはどうでもよいことなのでしょうか? 「あと何分?」と強迫的に聞き返す言動とは矛盾しているようですが、それもどうも僕にも分からない・・・(笑) 何とかと天才は紙一重とも言いますが、加藤さんは本当に将棋を指すために生まれた天才です。 初の中学生棋士(その後、羽生善治さん、谷川浩司さん、渡辺明さんなど中学生棋士が誕生していますが)で、 弱冠18歳でA級に昇級し、「神武以来の天才」の異名をとります。 その加藤九段も名人位とは縁が遠く、大山康晴、中原誠という不動の永世名人の壁が厚かったわけですが、 42歳でやっと中原誠十六世名人から名人位を奪取しました。その名人戦の最終局で、加藤九段の勝利、すなわち名人位獲得を決定づける、中原玉の即詰みを発見した瞬間、 歓喜のあまり、「ひゃー」という奇声を発したという有名なエピソードもあります。 中原さんはその詰み筋に気づいていたかどうかは分かりませんが、対局中に勝利を確信しての奇声を聞かされた方としては、 たまったものではありませんね(笑)。 やっとのことで悲願の名人奪取が実現し、加藤一二三新名人が誕生したとき、皆、祝福の言葉をかけてくれたようですが、その中で一人だけユニークな発言をした棋士がいました。 故・升田幸三九段でした。「名人になるのが10年遅かったね」と。これ以上嬉しい言葉はないと思います。 名人位在位は残念ながら1期で、その翌年、21歳新鋭の谷川浩司九段に奪取されてしまいますが、 名人のタイトルは他のどのタイトルとも違う特別なもので、多くのプロ棋士にとって永遠の憧れという存在です。 それというのも、名人位になるには新四段として晴れてプロ棋士になってから、ストレートで行っても5年かかるという 道のりの遠さとタイトル取得の難しさがあるからです。 プロ棋士になるには、奨励会に入会して昇級・昇段を重ね、三段リーグで関東・関西それぞれのリーグで上位2人に 入らなければならずこの狭き門を突破する必要があります。 そうして新四段・プロ棋士としてデビューした時、 組み込まれるのがC級2組です。 同じ組の数十人同士がリーグ戦(順位戦)を1年間戦い、その戦績で上位数人のみが上のクラスに上がれるのですが、 このような制度上、上のクラスに上がれるチャンスは年にたった1回しかなく、そこで上位数人に入るのは結構狭き門です。 当然のことながら上のクラスに行くには相当な困難が伴います。 そうして、C級2組→C級1組→B級2組→B級1組→A級と上がっていくことになりますが、 毎年、順位戦リーグで好成績を収めて上のクラスに上がっていったとしても、A級に入るには最短で4年かかります。 このA級は10人の棋士がいますが、ここは「将棋の神」に選ばれし、将棋界最強の10人ということになります。 この10人でA級順位戦リーグを1年間戦い、最も高い戦績を挙げた人が名人戦挑戦者となります。 棋界最強の10人の中でトップの戦績を挙げるというのは当然のことながら至難の業で、 名人挑戦権を得るまでの道のりの長さと難しさがいかに大変なものであるかが理解できると思います。 そして現名人と7番勝負を戦って、勝利する(先に4勝挙げる)ことで名人位奪取となります。 実に長い道のりで、他のタイトルと違い、名人位は棋士にとって最も神聖なタイトルなのが、これで理解できると思います。 一度でも名人位に就いたことがある棋士は、将棋の神に選ばれし天才として、 将棋界の歴史に名を残すことになります。 名人挑戦権を得ることはもちろん非常に大変ですが、名人挑戦権を得るのは通過点でしかなく、 現名人との7番勝負で勝たなければ、当然そこで終了となります。 名人挑戦権を得ながら、名人位に一歩届かなかったという棋士も結構多くいます。 剃髪して臨んだ森けい二九段、痛恨の手順前後で千日手指しなおしとなり一歩届かなかった大内延介九段など、 名人戦ならではのエピソードにも事欠かないです。 加藤一二三九段も、故・米長邦雄永世棋聖も、たった1期とはいえ名人位に就けてよかったと思います。 加藤一二三九段はチョコレートが大好物で必ず持ち歩いているらしいですが、あの体型で糖尿病は大丈夫なのでしょうか? ずっと元気でいて、これからも将棋界に加藤さんならではの珍エピソードをどんどん作っていってほしいです。
更新記録
その後・・・ 大好物のいつもチョコレートを持ち歩いている加藤一二三九段は糖尿病になっていてもおかしくないと個人的には思っていたのですが、 本人曰く、健診は受けていて今は全く異常なし、健康年齢は40代だそうです。もちろん糖尿病も高血圧もないそうです。体質に恵まれているのですね。 これからどんな珍エピソードを作ってくれるのでしょうか。楽しみですね。
2019/06/29 第4稿
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